秋の空を見上げると
進行中の造園の透明彫刻仕事は、まだ終了していないのですが、同時並行して誌面デザインの仕事もやっています。その仕事の一環として、この数週間青い空を見上げて、空と雲の撮影をやっておりました。
時には「かっこいい雲」を追いかけて隣の隣の町まで行ってしまったり、とにかくカメラを握って上ばかり見ている、そんな日々でした。
例によって電柱電線が邪魔なのは許しがたいのですが、「空を見上げる」という行為は、とてもいいものでした。
東京都北区の本部事務所?周辺と埼玉県某所の仕事場の往復から、いくつか写真をご覧いただきます。
秋の空は、いい。
雲が適度にあると空に大きな「空間」を感じることが出来ます。雲がない空はベタッと平面的ですからね。
この青い大きな空間を「my blue heaven」という歌にしたアメリカ人が昔おったんですね(1927年)。その一年後に日本語訳して「私の青空」という歌もこの国で歌われました。
なんでその10年後、その二つの国は殺し合いをしなくちゃならないのか?まぁ、今回はその問題は主題ではありません。
2枚目の写真は「根津神社」の狛犬の上空の空です。
ボクの孫たちの母親、要するにボクの娘が、「何故父さんは上ばかり見ているの?」と訝しげに尋ねておりましたが、「仕方がない。仕事だ。」と。
この季節、青い空に白い雲がたなびき、どんどんその様子が変化し、雲が上空で行き交い、時間と空間をこんなにも豊かに味わうことができるなんて、いや、これを味わずして秋をやり過ごすことのなんと「もったいないこと」!!な〜〜んて、ボクは思うのでした。
飛行機雲も悪くはないけれど、飛行機って、ひっきりなしに本当にバンバン飛んでいる。
相当量の燃料をブチ撒いて経費をかけているんだから、遠くの人とも異国の人とも仲良くしなくちゃ、だよな。なんて。。
空を見上げること。
雲に見惚れること。
最近特にテレビなんかほとんど見る価値ないんだから、青い空と行き交う雲を見ることをお勧めしたい。
夜空もいい。
月なんか出ていたら、1時間でも見ていられる。
空を見上げるって、他の何かの時間を削ってもいいような時間じゃないかなぁ?
この季節、本当に、いいんだから。
東洋絵画に、「三遠の理法」という「法」があります。「遠い」という感覚を大事にする言葉です。深くて遠い「深遠」、高くて遠い「高遠」、広くて遠い「平遠」。空を、深く、高みを感じて、広がりを持って「眺める」と、心が晴れ晴れとするように、ボクは思うなぁ。
閑話休題。
「私の青空」
夕暮れに 仰ぎ見る 輝く青空
日が暮れて 辿るは 我が家の細道
狭いながらも 楽しい我が家
愛の灯影の 差すところ
恋しい 家こそ 私の青空
1928年(昭和3年)の訳詞ですから、灯影(ほかげ)とか、レトロですね。
いつも心に青空を。