透明のクチビルに関して
前回は「鼻」をお見せしましたが、今回は「クチビル」です。
「鼻」には、LEDの電飾を仕込みましたが、この「クチビル」は、電飾なしです。なお、このクチビルには座る事が出来ます。
「いやぁ!とても座る気にはなれない!」と、この赤い写真を見ると、なんかお尻をなめられそうな気がしてくるかもしれません。スミマセン!
でも、この写真は、撮影時に赤い布をオブジェの下と向こうに置いたので、ギョッとするような感じになったのですが、次の写真では、いかがでしょうか?
撮影時の条件が異なりますが、黒い布をバックにすると、それほどビックリしなくなりますね。
「これなら、座ってもいいや。」って?
どうでしょうか?
実をいうと、「座ってもいい透明彫刻」は、高松シンボルタワーでも作ったのですが、たくさんの人に座られて触られて足蹴にもされたりすると、上の方は特にツルツルに磨かれる事になる、ってぇ事を、ボクはこの高松で思い知ったのでした。それなら、いっそ最初からツルツルで電飾なしがいい。ツルツルだと、内部が透けて見えますので、電飾を仕込んでも、上の方は光が通り過ぎていきますから、オブジェ全体がその光の色にならず、単に光源が丸見え、という事になるのです。
今回の透明クチビルは、そんな訳で、何もせず、床に静かに置くだけ、にしました。
すると、どうでしょう?この存在感の無さ!
あるいは、この「物足りなさ」!
せっかく汗かいて腰を痛めて、一生懸命つくったのに!
ボクはこの透明岩石シリーズ「クチビル」をここへ納品した時から、いろいろ考えていたのです。「やはり、赤い布を下へ敷くべきか?」「いや、そうすると、良くないか?」
この「スツール」をご発注なさったご本人は、「この存在感の無さが、いい」とおっしゃってくださいまして、結論は、一番下の写真のようにあまり気づかれずにそっと、皆様のお尻をお待ちする、っていう事になったのです。
しかし、この「物足りなさ」は、どこかでボクらは味わった事がある。「え?これでいいの?」「これで、完成なの?」という感じ。。。
昔の水墨画のササッと描いたような絵は、やはり、そういう感じがしませんか?あるいは、陶器の釉薬をサラッとかけただけのようなものとか。。。
以前のブログにも少し書きましたが、透明な物体をつくるという行為は、不思議な感覚になるものです。「つくっている」という言い方も、ちょっと違う気がするのです。
ボクは「東洋の絵描きでありたい」と思いつつ、美術の何でも屋をやり続けております。その思いからすると、透明彫刻、あるいは透明岩石は、宿命的なのかもしれません。
今年もまた透明彫刻のお話がいくつかありそうです。